2011年3月11日、海岸から3キロメートル離れた上長部地区には、大破した冷凍工場から800トンのサンマやサケが津波によって流れ込み、地区の3分の2が浸水した。瓦礫の下に散乱する水産物が腐敗して悪臭を放ち、夏には膨大な数のハエが発生。
この地区に4月中旬から「遠野まごころネット」が「サンマ拾い隊」としてボランティアを派遣し、ひたすらサンマを回収し続けた。やがてサンマと瓦礫が撤去され、活動は農地の復旧へと進み、地域の人々とボランティアの間に強い絆が培われた。畑にまいた種は芽を出し、ひまわりが咲き、野菜も実がなった。ボランティアのために丸太小屋を建てようと、地域の男性が動き出し、大工の棟梁、チェーンソーが使える人、電気配線工事ができる人を仮設住宅から引っ張り出してきた。小屋はおやじたちの“アジト”になり、仮設住宅、在宅という垣根を越えて人々が集い、話をするなかで、物をつくり、次にやることを発見していく。
子どもたちが駆け回ることができるグラウンドもいち早く整備した。階段を何十段も上がる高台で高齢者は暮らせないと行政に交渉し、平地での住宅建設の許可をもらった。製材所をつくり、住宅用の木材を自分たちで準備する。立ち枯れた木で外壁材をつくって公民館も建設する。
遠野まごころネットの担当者は、この地域が「復興の学校」になっていると語る。今は65歳以上の高齢者が担い手だが、さまざまな取り組みが連動すれば、地域出身の若い人たちが戻ってくる仕事や場ができ、次世代の育成ができると期待する。上長部に来るボランティアの価値観も、地域の人たちの生きる力や生活の知恵に触れて変わっていく。被災地には、日本の農山村の問題が凝縮され縮図となって存在している。村の自立なくして個人の自立なし。遠野まごころネットでは、開拓者魂を持ち、弱きを救うことも忘れずに、当事者意識を持って復興に挑んでいる。
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