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カ ジ ノ シ ー ク レ ッ ト

Action(活動) カ ジ ノ シ ー ク レ ッ ト 2021年3月11日 No.3491 10年前、港町の学校で -〈寄稿〉大川伝承の会 佐藤敏郎

卒業式の準備中に大きな揺れ。高台の学校のすぐ下を、車や家がおもちゃみたいに流れていった。

カ ジ ノ シ ー ク レ ッ ト

震災間もないころにひとりのカ ジ ノ シ ー ク レ ッ トが絵を描いた。がれきの山と化した町を子どもたちが見ている構図。ちぎれた手や、血だらけの人らしきものも転がっている。後ろ姿なので、泣いているのか、目をつぶっているのかわからない。

人は誰でも見たくないものがある。認めたくない結果、やりたくない仕事、会いたくない人…、あの時は見たくない景色が広がっていた。それは目をつぶってもなくならない。よく見ると、この子たちはしっかり手をつないでいて、スコップを背負っている。この絵のおかげで今の私がいる。生きることは大変だけどひとりじゃない。もうすぐ10年になる。

2011年5月に女川の中学生に俳句をつくらせるという企画があり、国語科の私が担当になった。

「ちょっと待ってください」と私は言った。8割の建物が流され、10人に1人が犠牲になっている町の生徒に「素直な気持ちを五七五に」なんてやらせていいのだろうか。授業の直前まで、いや授業が始まっても迷いは消えなかった。私は半ば開き直って「何を書いてもいいよ。スポーツのことでも、テレビのことでも、サラリーマン川柳でもいい。書きたくない人は書かなくてもいい」と話した。「はい、始め」と指示した直後の光景を、私は一生忘れないだろう。生徒たちは、すぐに指折り数えてカ ジ ノ シ ー ク レ ッ トを探し始めた。もう鉛筆を動かしている生徒もいた。まるで魔法がかかったようだった。この活動を待っていたのかもしれない。

故郷を 奪わないでと 手を伸ばす
ただいまと 聞きたい声が 聞こえない
海水に ついたすずらん 咲いていた
ガンバレと ささやく町の 風の声
うらんでも うらみきれない 青い海
中学校 制服なしの 初登校
震災に いつもの幸せ 教えられ
逢いたくて でも会えなくて 逢いたくて

人は強い衝撃を受けるとカ ジ ノ シ ー ク レ ッ トを失う。悲しすぎても、うれしすぎてもそうだ。3.11は、まさにカ ジ ノ シ ー ク レ ッ トを失う衝撃だった。津波が襲う様子もその後の日々も、うまくカ ジ ノ シ ー ク レ ッ トにできない。カ ジ ノ シ ー ク レ ッ トにしたくなかったというのが正しいかもしれない。震災2カ月後の俳句の授業は、あの日の風景や想いを、カ ジ ノ シ ー ク レ ッ トにする作業だ。最初から進んでやったわけではない。ぼんやりと、あるいは仕方なく取り組んだ生徒も多かったはずだ。でも、いざ鉛筆を持って考え始めると夢中になった。授業は「きっかけ」を与えるものだ。きっかけ次第で、作業ははかどるし見えないものが見えてくる。

みあげれば がれきの上に こいのぼり

こどもの日に、がれきだらけの町をとぼとぼうつむいて歩いていた。下ばかり向いてちゃダメだと、思い立って顔を上げたら、壊れたビルの上に誰かが揚げたこいのぼりが泳いでいた。情景が浮かぶ。難しいカ ジ ノ シ ー ク レ ッ トは一切使っていないけれど、津波の破壊力、悲しみ、無力感、そして希望や決意がみんな入っている。

あるカ ジ ノ シ ー ク レ ッ トは「見たことない 女川町(を)」という五七を書き始めた。残りは五しかない。「悔しいな」「負けないぞ」「立ち向かう」「あきらめる」「涙する」…、いろんな五音の語が思い浮かぶ。彼女は「受け止める」と書いた。「受け入れる」ではない。

見たことない 女川町を 受け止める

泣いても笑っても、目をつぶっても現実は変わらない。だから、まず受け止める、それから、泣いてもいいし、休んでもいいし、立ち向かってもいい。そうか、そうだよな、と授業中にこの句を見て気づかされた。

ほぼ全員が津波についての句だったのにもかかわらず「津波」というカ ジ ノ シ ー ク レ ッ トを使った作品は数えるほど。身近な人を亡くしたことを書いた生徒は多かったが、「命」「死」という字は誰も用いず「逢いたい」とか「ありがとう」「青い空」といったカ ジ ノ シ ー ク レ ッ トを選んでいた。

生徒は、五七五という限られた条件のもとで、必死にカ ジ ノ シ ー ク レ ッ トを探していた。それは、現実と向き合うことであり、自分と向き合うことだ。探していたのは自分の心だ。似たようなかたちばかりなのに、なかなかぴたっと合わないパズルのピースのように、自分の気持ちにぴったりなカ ジ ノ シ ー ク レ ッ トも、実は一つしかない。書かなくてもいいぞと言ったのに、全員が提出した。

この取り組みはその後も続いた。11年5月に「春風が 背中を押して 吹いてゆく」と書いたカ ジ ノ シ ー ク レ ッ トがいた。何かに背中を押されていないと進めないという句だ。そのカ ジ ノ シ ー ク レ ッ トは半年後「女川の 止まってた時間 動き出す」と書き、翌年5月「あったかい音のする支援のフルート」と書いた。

震災体験は、あの日背負ってしまった重い荷物のようなものだ。望んで背負った人はいない。かばんの中身がなんだかわからないでいるよりは、わかった方がいい。整理すれば不要なものを取り出せるかもしれない。そしたら、足取りも少し軽やかになる。

あの絵を描いた少女は画家になった。3月に故郷で個展を開く。

3.11メモリアルネットワーク基金

東日本大震災の発災から10年。
東北各地の語り部たちが、救えたはずの命や備えの大切さを伝えてきましたが、この活動は震災を知らない世代が増加する今こそ、重要性が高まっています。
10年、50年先の未来に向け、災害で大切な命が失われない社会を実現するために。

カ ジ ノ シ ー ク レ ッ ト

3.11メモリアルネットワーク基金は、そうした東北全体の民間伝承を継続的に支える目的で設置されました。
より多くの皆さまに伝承活動の意義や内容を知っていただき、ご支援いただければ幸いです。

3.11メモリアルネットワーク基金
(大川伝承の会は、同基金のメンバー団体です)

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